②61D特急サロベツ1号:旭川1335→稚内1723(旭川発/稚内ゆき)
えきねっとトクだ値50を利用して、4440円(通常8890円)で普通車指定席に乗車しました。
2号車付近から4号車方向を撮影
キハ261系0番台4両編成(苗穂運転所所属)で、稚内方1号車からキロハ261-202+キハ260-202+キハ260-104+キハ261-104(=SE-202ユニット+SE-104ユニット)でした。
重要機器取替工事に併せて、側面方向幕はフルカラーLEDとなっています。
乗車したのは2号車。
天塩川の景色が好きなので、偶数番D席にしました。
特急ライラック15号からの乗り換え客はわずか、旭川からの乗車はほぼゼロで、2号車はガラガラ。
11月も半ばというのに、車内誌が綺麗なのは乗客が少ないからでしょうか。
一方、普通車自由席(4号車)は窓側にそこそこ乗っていました。
2号車(普通車指定席)
永山で運転停車(下りのみ、全列車)。
これは永山で閉塞の方式が変わる為です。
なお、永山で停車する旨の自動放送がありました。
永山駅(2番線)
塩狩峠(塩狩駅)を通過。
道北(狭義)の入口であり、石狩川水系から天塩川水系に変わります。
14時頃ですが、季節柄夕方のような雰囲気です。
右の建物は塩狩ヒュッテユースホステル(泊まったこと有り)
(以下は2号車での記録)
和寒で、1人下車するも乗車なし。
2022年3月開業予定の名寄高校駅は、だいぶ出来ていました。
名寄で、運転士が交代。
名寄は旭川以北では唯一の市で、日本最北端の市の稚内までは150km以上離れています。
また、日本最北端のイオンやマックスバリュがあります。
なお、宗谷本線は名寄を境に宗谷南線と宗谷北線と呼ばれています。
美深で、キャリーバッグを持った学生らしき数人が乗車。
2021年3月に旅客扱いを廃止した豊清水信号場で運転停車(1503〜1508)。
この停車は、稚内発旭川ゆき対向列車の6064D特急サロベツ4号との行き違いの為です。
しかし、この日は6064D特急サロベツ4号の運休日(閑散期の火曜日〜木曜日)だった為、行き違い列車はありませんでした。
旧駅舎
旧駅舎の入口(ホーム側)
道北は道東とは違い、荒涼とした景色が続きます。
駅前方向
筬島(おさしま/音威子府の先)〜佐久(天塩中川の手前)は、サロベツ原野や抜海(利尻島・礼文島)と並ぶ、宗谷本線のハイライトの一つ。
天塩川が線路ギリギリまで迫っています。
険しい地形であり、並行する一般国道40号は特殊通行規制区間(18km)となっています。
(E5音威子府バイパスが建設中ですが、地質が悪く、開通は2018年度から2025年度に延期されています。)
何度も通った思い出の道であり、懐かしい気分になります。
ところで、不思議なのが中川町が音威子府村と同じ上川総合振興局(上川地方)と同じということ(上川総合振興局最北端)。
北隣の幌延町(宗谷総合振興局/宗谷地方)の方がアクセス性が良いのにと考えてしまいます。
JA(北はるか)も美深町・下川町・音威子府村と同じ(JAの合併の為)となっています。
天塩川(筬島〜佐久)
音威子府以北は線路が国道から離れているせいか、携帯電話(ドコモ・楽天モバイル)の電波が悪いです(特に楽天モバイル)。
(但し、筬島〜佐久は人家がほぼ無い為、国道も圏外で、一般国道273号などと同じく非常電話と駐車スペースが設置されています。)
ちなみに、この区間は神路駅というアクセス困難の駅跡で有名です。
(対岸=国道側=から吊橋をかけたものの、1年も経たずに暴風雪で崩壊し、それ以来アクセス路がありません。)
15時半ですが、まもなく日の入り(1601、中川町)ということもあり、写真を撮るには光量不足。
今回は退職日(入社日)と年次有給休暇の消化の都合上、秋から冬にかけての旅となりましたが、やはり列車の旅は昼の長い夏が良いですね。
(夏は自然災害が多いので、最長片道切符の旅は大変そうですが。)
天塩川(筬島〜佐久)
天塩中川で、2号車は10人ほどに。
少しずつ降りていきますが、数人レベルです。
幌延手前(到着の自動放送が流れている最中)で、警笛&そこそこのブレーキ(通常より強めだが急ブレーキではない)。
停止直前に、何かとぶつかった感じがしました(1626)。
予想通り、エゾシカと接触した模様(道北・道東あるある)。
稚内での折り返し(1723着=61D
特急サロベツ1号=、1803発=4330D
普通=)に不安がよぎります。
見た目は何ともなくとも、ブレーキ系統がやられてしまえば、運転打ち切りになってしまいますから。
通りがかった車掌(2人)は「ガリガリと音がした」と話し、”何か”が入った袋を持っていました…。
エゾシカと接触時の車内(16時半で車外は真っ暗)
ブレーキテストを繰り返し、幸いにも1637に発車となりました。
幌延には1641〜1642(定刻1628〜1629)、豊富には1655〜1656(定刻1643)の停車となりました。
(幌延や豊富でも、ちょこちょこ降りていました。)
その後、1722に鹿が飛び出したのか、再び急ブレーキとなりましたが、止まらずに済みました。
南稚内には1731〜1732(定刻1719)停車、終着・稚内には1736(定刻1723)に到着しました。